2018年6月12日火曜日

人に頼っちゃいけない、って思ってた。


人に頼っちゃいけないって、思ってた。

誰かに頼ることは、せっかく実った幸せを奪ってしまうことだって、思っていた。
だから自分で全部、なんとかしなくちゃって。
本当に頼っていいのはボロボロになって死にそうな時だけで、当然そうなってくると頼る人なんて選べなくて、手遅れなタイミングで、見当違いな人に頼ったりとかしていた(その節はほんとごめん、ありがとう)。

人の役に立つのが好きだ。私がしたことで、「ありがとう」ってほころんだ顔が返ってくるのが好き。そのための知識、メンテナンス、創意工夫、色々してきたし、している。
自分はそうなくせに、人が私と同じ気持ちになるなんて、見当もつかなかった。


たいていの人は、はじめての人間関係を、両親から学ぶ。私の両親が私に教えこんだ人間関係の処世術は、家庭という密室内では役立っても、それ以外の外の世界では全く役に立たなかった。

「俺の機嫌を取れ。(さもなくば家から追い出すか痛い目に合わせる)」
「私の理想を叶えて。(それ以外のあなたなんて生きている価値はない)」

条件付の愛情、言葉の暴力、物理的暴力、無言の圧力、具体的なルールと強制。ありとあらゆる手を使って、私は生まれ落ちた異様な空間に適合するための作法を身につけさせられた。
それが普通だと思ってた。それ以外の生き方を知らなかったから。初めて教えてもらったのがそれだったから。
自分を殺して、誰かの機嫌をとって、誰かの理想を叶える、それをどれだけ上手にやってのけるか。それが生きていくということだと思ってた。あと70年とか80年それをやる。それが人生なんだって。
気が遠くなる話だ。

当然、助け合って生きていくとか、そういう関わり方ではなかった。
子どもの頃に幸せだとか、嬉しいだとか思ったことってあまりなかったけど、それでも私のなけなしの幸せ、気力体力、神経や思考回路は、全て、両親の機嫌をとって理想を叶えることへ捧げられていた。

頼ろうとしてみたこともある。「〇〇について困っている」とか、「××を変更したい」とか。その度に、「私の方が困っているのよ」とか、「いけません、ゆきてるちゃんは××をずっとそのまま続けるのです」とか返ってきて、これは話にならないな、と諦めるか、耐え抜くことを学習した。

そんなこんなで、私は両親に「これをしてくれると助かります」って自己申告して頼れたことって、全くと言っていいほどない。

だから、人に頼れないって、ずっと思ってた。でもそれは、私が生まれ育った密室の中だけの話だ。もう私はあの密室から飛び出して生きている。この世界にはなんでもある。だから、頼りにできる人もいる。それをだんだんとわかってきている。
というか、人はどうやら助け合って生きているようだということをわかってきた。
人にはものすごい多様性がある。これは4年間占ってて今でもびっくりするほどに。ここまで人は考え方や価値観、得意不得意が違うのかって、おもしろくてやめられなくなるくらいに。
だから、得意なことも苦手なことも、本当に人それぞれだ。誰かの苦手を、誰かの得意で補い合って生きている。助け合って生きている。

頼りにしていいんだ。助けられていいんだ。そうして私に実った幸せを、また誰かにお裾分けしよう、私は、私のできる役立ち方で。そんな風に、今は思ってる。



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