2018年7月25日水曜日

天王星の発見とホロスコープ

ふと、天王星が発見された時って、どんなホロスコープだったのだろう?と気になって調べてみた。

発見されたのは1781年3月13日。発見したのはウィリアム・ハーシェル。(wikipediaより。
ホロスコープはこちら。


射手座の火星土星、魚座の太陽、双子座の天王星で、Tスクエアができている。
このとき射手座24度の方向には射手座Aと呼ばれる、天の川銀河の中心があった。そのほぼ真反対で天王星は発見された。天の川の反対側は暗かったから、見つけやすかったのかな?

(ちなみに、土星と天王星の橋渡しをする小惑星、キロンはこの時どこにいたのかなーと思って調べたら、牡牛座の4度にいたそうだ。)

2018年7月21日土曜日

巡航プシクラオン

最近、この曲がとてもお気に入りです。平沢進の、巡航プシクラオン。
お経とモールス信号が見事にマッチしている。
民謡やわらべ歌に使われる、ヨナ抜き音階で作られていますね。どこか懐かしくてホッとします。



私の金星は蠍座で、月は双子座。インコンジャンクト、150度のサイン。相容れない関係です。
どちらも受けとる性質、女性性の天体なので、あっちが満たされればこっちが満たされず、なんて痒いところにぎりぎり手が届かないような感覚をしばしば味わっています。

双子の月はスッキリしていて爽やかなものが好き。金星蠍はこってりしていてあとひく癖のあるものが好き。
食べ物でも、お洋服でも、同時に満たすことはなかなか難しい、矛盾した性質です。
(※そういう時の必殺技...時間差で2つとも味わう(笑) 月と金星の性質が矛盾している人に浪費家が多いのは、このためです。自分の心の中に趣味の違う女性が2人住んでいるのです(笑)満たされるのに2倍かかる。)


そんな中、この曲は、なんだかどちらも同時に満たされるような気がする。たくさん聴いていて、後から気がついたのですが。
モールス信号、電子音は双子。ポップでキャッチー。
お経は蠍。ディープで少しあの世の香りがする。

わくわくです。

2018年6月12日火曜日

人に頼っちゃいけない、って思ってた。


人に頼っちゃいけないって、思ってた。

誰かに頼ることは、せっかく実った幸せを奪ってしまうことだって、思っていた。
だから自分で全部、なんとかしなくちゃって。
本当に頼っていいのはボロボロになって死にそうな時だけで、当然そうなってくると頼る人なんて選べなくて、手遅れなタイミングで、見当違いな人に頼ったりとかしていた(その節はほんとごめん、ありがとう)。

人の役に立つのが好きだ。私がしたことで、「ありがとう」ってほころんだ顔が返ってくるのが好き。そのための知識、メンテナンス、創意工夫、色々してきたし、している。
自分はそうなくせに、人が私と同じ気持ちになるなんて、見当もつかなかった。


たいていの人は、はじめての人間関係を、両親から学ぶ。私の両親が私に教えこんだ人間関係の処世術は、家庭という密室内では役立っても、それ以外の外の世界では全く役に立たなかった。

「俺の機嫌を取れ。(さもなくば家から追い出すか痛い目に合わせる)」
「私の理想を叶えて。(それ以外のあなたなんて生きている価値はない)」

条件付の愛情、言葉の暴力、物理的暴力、無言の圧力、具体的なルールと強制。ありとあらゆる手を使って、私は生まれ落ちた異様な空間に適合するための作法を身につけさせられた。
それが普通だと思ってた。それ以外の生き方を知らなかったから。初めて教えてもらったのがそれだったから。
自分を殺して、誰かの機嫌をとって、誰かの理想を叶える、それをどれだけ上手にやってのけるか。それが生きていくということだと思ってた。あと70年とか80年それをやる。それが人生なんだって。
気が遠くなる話だ。

当然、助け合って生きていくとか、そういう関わり方ではなかった。
子どもの頃に幸せだとか、嬉しいだとか思ったことってあまりなかったけど、それでも私のなけなしの幸せ、気力体力、神経や思考回路は、全て、両親の機嫌をとって理想を叶えることへ捧げられていた。

頼ろうとしてみたこともある。「〇〇について困っている」とか、「××を変更したい」とか。その度に、「私の方が困っているのよ」とか、「いけません、ゆきてるちゃんは××をずっとそのまま続けるのです」とか返ってきて、これは話にならないな、と諦めるか、耐え抜くことを学習した。

そんなこんなで、私は両親に「これをしてくれると助かります」って自己申告して頼れたことって、全くと言っていいほどない。

だから、人に頼れないって、ずっと思ってた。でもそれは、私が生まれ育った密室の中だけの話だ。もう私はあの密室から飛び出して生きている。この世界にはなんでもある。だから、頼りにできる人もいる。それをだんだんとわかってきている。
というか、人はどうやら助け合って生きているようだということをわかってきた。
人にはものすごい多様性がある。これは4年間占ってて今でもびっくりするほどに。ここまで人は考え方や価値観、得意不得意が違うのかって、おもしろくてやめられなくなるくらいに。
だから、得意なことも苦手なことも、本当に人それぞれだ。誰かの苦手を、誰かの得意で補い合って生きている。助け合って生きている。

頼りにしていいんだ。助けられていいんだ。そうして私に実った幸せを、また誰かにお裾分けしよう、私は、私のできる役立ち方で。そんな風に、今は思ってる。



2018年5月16日水曜日

心。感情。(はじめまして)

この世で見つけた素敵なものたち。素敵な気持ち。
忘れないように、大切にしまってとっておきたい。たまに取り出して眺めて、素敵な気分にひたりたい。そんなブログ。

好きなものがいっぱいある。

一番好きなのは、たぶん、そもそも、心。感情。
自分の心。人の心。
嬉しい、楽しい、悲しい、好き、嫌い、なんかいい気持ち、なんかしっくりこない、どきどきワクワク。いろんなものに向かっていろんなことを感じられる心。
この世界の本当の意味とか価値とかは、ちっぽけな私にはわからない。何万年、何億年と続いていく宇宙の営みに、本当はどんな意味があるのか知らない。刻々と進んでいく時間、送っている日々に本当はどんな意味があるのかわかっていない。
それでも心は、「これがどうしても、とても大切に思える」「これだけは絶対守りたい」「この瞬間だけは忘れたくない」「これが大好き」「もしかしたらこんな意味があるのかもしれない」って、いろんなことに意味づけをする。価値づけをする。その途端に、なんでもない宇宙の一瞬が、世界のひとかけらが、その心の持ち主にだけは宝物になる。心の、感情の、そうやっていろんなものに価値を与える力が素敵だと思う。

この世で見つけた、私の大切な、大好きな宝物たちを、たくさんたくさん書いていきたい。